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2019-09-09

Osho禅タロットカード「Ⅴ.NO THINGNESS(無)」

Osho禅タロットカード「THE REBEL(反逆者)」から「 NO THINGNESS(無)」 へ世界は変わります。

「 NO THINGNESS(無)」 は、ただ真っ黒に塗り潰されたタロットカードです。タロットカードリーディングで、こんなタロットカードが出て来たら、お先真っ暗なのかとショックを受けて泣きそうになってしまうかもしれませんが、「 NO THINGNESS(無)」 は、未来がない等の警告を意味するタロットカードではありませんので大丈夫です。

「 NO THINGNESS(無)」 は、静寂な空間に宿る純粋な意識を表すタロットカード。しかし、そもそも純粋意識は喋りません。かなり無口な 「NO THINGNESS(無)」ですので、 今回は説明もしどろもどろ・・少ないです。

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Osho禅タロットカード「NO THINGNESS(無)」

Osho禅タロットカード「NO THINGNESS(無)」に描かれているもの

・真っ暗な世界。ここには何も描かれていないので一見すると不気味にも感じますが、「何も無い。」のではなく全ての始まりが描かれています。

数字「Ⅴ(5)」の象意

「5」は、自由と変化。五感。五芒星。水星の知性とコミュニケーション。自由と変化の数字です。自由と責任逃れは別物で何の努力をすることなく自由を手に入れられると思ったら間違いです。感情のコントロールを学び、正しい変化を遂げる必要があります。

Osho禅タロットカード大アルカナ「NO THINGNESS(無)」から見えて来るもの

「 NO THINGNESS(無)」 は、大アルカナ5番目のタロットカードです。 「4」の安定から変化を求め始める数字です。ただし、5の変化はあくまでも安定の基盤がある中での変化なので、完全な自由や解放とは言えません。安心できる小さな世界から広い世界へ関心を持って飛び出す勢いのあるエネルギーです。

大宇宙から小宇宙が生まれる瞬間は、きっとこんな感じだったのでしょう。 静寂とは形のないものです。 静寂と静寂の間にあるもの、正確にはものではありませんが、 その間に言葉を超えた何かがあるのは皆、感じることが出来るでしょう。 そこには純粋な意識が潜んでいる。潜んでいるのではなくて在る。

カードリーディングで 「 NO THINGNESS(無)」 が登場した時は、リーディングの題の中で、気付いていない事柄、気付いているけれど完全に目を背けている事柄があることを伝えられています。

気付くべき事柄はネガティブな事ばかりではなく、あなたの可能性であることも多いでしょう。自分で自分の限界を決めていませんか。自分はあの人のようには出来ない。自分には能力が無いと思うことはないでしょうか。あなたの中にある完全な意識に焦点を合わせましょう。長所も短所も比較なども必要なく、あなたの全てを拡大させるだけで良いのです。

ウェイト版タロットカード「THE HIEROPHANT(法王)」との比較

ウェイト版タロットカード法王
Holly Voleyによる1909年版のスキャン画像

「THE HIROPHANT(法王)」と、 「 NO THINGNESS(無)」 の共通点は純粋な意識です。弟子たちに精神的な指導を行う法王は、自身の信じているものに信頼を超えたもの、絶対的な答えがあることを知っています。法王は答えに触れたものです。自身も純粋意識の一部なのだと悟っているのです。

リーディングケース 恋愛&人間関係

恋愛相談で気になる相手の気持ちをリーディングする際、「 NO THINGNESS(無)」 が登場したらビビりますね。 仮にワンカードで 「 NO THINGNESS(無)」 が登場した場合、どれだけ頑張っても恋愛の始まりとは読めません。ほぼ無意識。まだ、何も始まっていない状態。

人間関係も、根本的な部分から自身の変革や仕切り直しが必要だと落とし込む必要があるでしょう。ただし、どちらもポジティブ過ぎてもいけませんが、ネガティブに受け取る必要はありません。何故ならば、何も始まっていないのですから。

Osho禅タロットカード「NO THINGNESS(無)」まとめ・注意点

「 NO THINGNESS(無)」を読まれても、メッセージもぼんやりとしていて、掴みどころがないと感じられてしまうかもしれません。解説が解説になっていないのは、純粋意識はこの世のものではないので、この世の言葉で的確に表現することが出来ないからです。・・と言って逃げているのではなく、実際、この世のもので言葉で説明できない感覚ってありますよね。掴みどころがないけれど、何か知っている感覚があるのは、私たちが日常的にそれに触れているからだと言えます。

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