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2019-09-10

目覚めの瞑想

目覚めるためには、日々の生活に瞑想を取り入れる必要があります。近年ではスティーブ・ジョブズが取り入れていることで話題となり、マインドフルネスなどと言われることもあるようです。瞑想は著名人だけではなく多くの人が生活の一部としており、その効果を実感されている方も多いでしょう。瞑想には段階があり、軽いものから深いものまで、目覚めるためには、一時的に深い瞑想に入らなければいけませんが、ご自身が無理のない方法で取り入れると良いでしょう。ここでは、私が実践している簡単な瞑想方法をお伝えします。

目覚めの瞑想方法

瞑想とは

瞑想の始まりは、お釈迦様が数年間に渡る苦行の末、悟りを開くために行ったものです。私たちが瞑想を行ったからと簡単にお釈迦様の境地に辿り着くことは出来ませんが、いわゆる内観に近い形に持って行くことが出来るため、正しく瞑想を行うことが出来ると、心の落ち着きを感じられるようになります。以前は、瞑想と言うと宗教色が強いものとして見られていましたが、時間の経過と共に理解が進み、怖いイメージは少なくなったように思います。

お釈迦様と菩提樹

お釈迦様は、シャカ族の王子として生まれ、将来を約束された何不自由のない恵まれた生活を送っていました。しかしある時、誰にでも平等に訪れる自然の摂理に気付かれ、その答えを求める旅に出ます。お釈迦様は29歳の時の出家でした。6年間もの苦行を行われましたが苦行では悟りを開くことが出来ず山を下りられ、菩提樹の木の下で瞑想を行います。瞑想を始めて49日目の12月8日悟りを開かれたそうです。お釈迦様が35歳の時でした。その後80歳で亡くなられるまで弟子たちに教えを説かれたそうです。お釈迦様が悟りを開かれた12月8日は、成道会と言われお祝いが行われます。ちなみに菩提樹とは「菩提=悟り」ですので、元から菩提樹と呼ばれていた訳ではありません。

お釈迦様と花まつり

お釈迦様の生誕を祝う花まつりは、今から2600年前の4月8日、一面に花が咲き誇るルンビ二の花園(現ネパール)で、お釈迦様が生まれられたことが由来にあるそうですが、お釈迦様の誕生の話では、生まれた直後に東西南北に7歩ずつ歩かれ、右手を天を左手で地を指し「天上天下唯我独尊」と言われたものが有名です。この話は、これらの逸話を通してお釈迦様が伝えられたかったことを明らかにするためのものだそうです。

天上天下唯我独尊の「天上天下」とは、広い大宇宙。「唯我独尊」とは、すべての人々には、ただひとつの尊い使命があると言う意味で、使命とは東西南北に7歩ずつ歩かれたことに答えがあります。7は「6+1」で、6とは仏教の六道を表しており、私たち人間は、迷いや苦しみの世界で生まれては絶えを繰り返して生きているが、そこから一歩出て、本当の幸せを得ること。有限である命の時間を無駄使いせず、大切に使うようにと言う意味があるそうです。

Mariya STAY SAFE Take care of each other によるPixabayからの画像

瞑想の効果

瞑想の効果は様々ですが、多くの方が体感することが出来るものが「心の安定」です。また「頭がスッキリと冴える」「視界が広がる」「直観が冴え、新しいアイデアを受け取ることが出来る」なども良く聞きます。マインドフルネスでは、瞑想を行うことで願望実現がしやすくなると聞きますが、正直なところ、「願望実現」となりますと瞑想とは真逆の方向に進んでいる気がしてなりません。瞑想とは内観です。本当の自分であるためのものです。

瞑想方法

瞑想の方法に特別なルールはありません。慣れてしまえば何処でも出来るものですが、慣れないうちは、誰にも邪魔をされない、ひとり静かな場所に座り、呼吸に意識を向けて行きます。瞑想とは、ただこれだけですが、例え5分であっても、しっかりと集中することができると頭がすっきりしますので、瞑想して良かったと思えるはずです。5分瞑想したけれど、頭もすっきりしないし何だかよく分からなかった。瞑想して良かったなど思えない場合、瞑想ではなく雑念の海で妄想していたのかもしれません。

私たちが瞑想を行ったからと、簡単に悟りを開くことが出来るものではありませんが、雑念と言うエゴが一時的に取り払われ、心を落ち着かせることは出来るものです。瞑想は特別な準備は必要ありません。静かに自己の呼吸へ意識を向けるだけでも瞑想になりますので、瞑想への興味と瞑想へ向かう気持ちさえあれば、例え満員電車の中であっても行うことが出来ます。静かにしているのですから、人が大勢いる場所であっても、誰にも知られず行うことが出来ます。

瞑想をすると頭がすっきりするのは、それまであった自分と一体化していた必要の無いものが削ぎ落とされるからです。必要の無いものとは、いわゆるエゴのことです。エゴとは、私と私以外のものを分けるもの。それぞれが持っている価値観や観念、期待や欲望のことです。これらは、生きて行く上で必要なものですが、強すぎるエゴは、自らを苦しめる元になります。
直感も冴えますので、スピリチュアルな存在との繋がりを感じられる方もいるでしょう。世の中には、様々なスピリチュアルレッスンがありますが、ほぼ瞑想で事足りると思っています。

瞑想時に雑念が出て来た時

いざ、瞑想を始めようと思った途端、気になることが思い出されたり、トイレに行きたくなったり、いわゆる雑念がたくさん出て来ます。トイレの場合は我慢せずに行きましょう。気になることは一旦、瞑想を止めてメモを取るか、それらを先に片付けてしまっても良いでしょう。ただ、5分後に出来ることであれば、やはり雑念は雑念として相手にせず呼吸に意識を向けましょう。

瞑想のまとめ

瞑想を日課にすると確実に以前とは違う感覚を感じられるようになります。変化は人によって違うものですが、物事がスムーズに進むようになったり、勘が冴えたり、心が穏やかになったり、生活に瞑想を取り入れると、波動の変化が起こり、瞑想前とは違う次元の波動となっているのです。このように書くと、なんだか怖いと言う方がいらっしゃいますが、そんなに簡単に劇的な変化が起こることはありません。
わかりやすく言うと、バージョンアップするようなイメージです。何がどのようにバージョンアップするかは、それぞれの段階によって違うため、体験してみないとわかりませんが、日々の生活に瞑想を取り入れ、変化を体験してください。

ひとりごと

瞑想によって、お釈迦様のおっしゃられる「本当の幸せ」に気付き、新しく生まれ変わることは出来なくても、多くの方が一度きりの人生、後悔の無いように、幸せを感じながら生きて行きたいと考えるものです。しかし、生きていると思い通りに行かないことも、わかっちゃいるけど現実逃避をしてしまうことも沢山あります。

挫折や心が痛む出来事を経験すると、大抵は立ち止まり、自分とはどんな人間なんだろうか?自分は何が好きで何が嫌いなのか?を考えます。その後、自分自身が明確になり方向性が定まることがありますが、自分が自分であることを考えた末、心に正直に生きることは大事なことですが、あまりに自分のために生き過ぎてしまうと、それはそれで辛くなってしまうものです。

自分のために生き過ぎる。少しわかり難い表現ですが、ケセラセラと流れに委ねて生きるのと違い、自分であることを追求し過ぎてしまうと、他人と自分を同化して苦しんでいた時と同じことが起こります。様々な体験があってこそ人生だと思いますが、「自分のために」「他人のために」などに拘るのではなく、あるがままに生きて行きたいものですね。

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