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2019-08-14

迎え盆

先日、迎え盆で兄をお墓まで迎えに行きました。この時期のお墓は、普段の静かな落ち着いた雰囲気ではなく、亡くなられた方々のワクワク波動が伝わって来ます。以前、流行った「千の風になって」と言う歌の歌詞にあったように、皆がお墓の中にいる訳ではないのに、墓地からテンションが高い感じのワクワク波動が伝わって来るのは、生きている家族の意識が故人に向くからなのかもしれません。

私の兄は、子どもの頃に亡くなっているのですが、私たち姉弟の成長と共に兄も成長をして行ったので、今ではもう結構な中年の姿をしています。中年男性になっても、心は子どものままのようなので、兄は母のことが大好きです。勿論、私も母のことが好きですが、兄の母好きは、幼児が母親のことを大好きで母無しでは生きられない(もう亡くなっていますが・・)かのような好きであり、普段、何もない時も当たり前のように実家(母の側)に居る兄なのですが、私たちの儀式に付き合ってくれたのか何なのか、真意はわかりませんが、満足そうな顔をして、車に同乗し実家に帰る兄の姿を見て、複雑な気持ちでした。一体、あの世のシステムとは、どうなっているのでしょうね。

話は変わりますが、私は虫が苦手です。子どもの頃、お盆の時期に見掛ける虫は、ご先祖様なので忌み嫌ってはいけないと聞きました。お盆の虫の話が本当かどうかは分かりませんが、例え迷信のひとつだとしても、ヤモリや朝に現れる蜘蛛と同じように、この時期の虫に対しては、出来るだけ普段より優しく接するよう心掛けています。

人は肉体を離れたらどこに行くのでしょうか?それらのご質問に対する答え(私が受け取るメッセージ)は、「何処に行く訳ではない。」ようです。「何処に行く訳ではない。」この言葉だけを受け取ると、「肉体を離れても永遠に同じ場所で留まると言うことなのか。」「生まれ変わりはないのか。」と思いますが、決してそう言うことではなく、肉体を離れたら全てがリセットされると考えるのは違うこと。肉体を離れても魂としての変化はなく、わたしたちはいつだって今を生きなければならないと言うことを伝えているのだと感じました。日本語にある表現が英語にないことがあるように(その逆も然り)、次元の違う世界のことを私たちの言葉に当てはめることが難しい・・・と感じることはよくあります。

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